» Bikeの記事

ぐろむとの日々

■□■□■□ ↓↓↓2016年↓↓↓ □■□■□■

オーリンズの箱

6月17日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむカスタム計画第九弾

 
 
 
 

赤っ!

5月23日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむカスタム計画第八弾

 
 
 
 

緑のトンネル

5月18日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 スランプと八丁峠

 
 
 
 

シフトゴム

5月10日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ 用品編:シフトゴム

 
 
 
 

ジャケットカスタム春編

4月19日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ジャケットカスタム春編

 
 
 
 

チェーン交換

4月8日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第七弾

 
 
 
 

エンジンスライダー

3月22日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第六弾

 
 
 
 

チェンジペダルパッド

1月18日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 用品失敗編、笑

 
 
 
 

ぐろむ2000キロ
1月10日
 2000km

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ぐろむ2000キロ、オイル交換

 
 
 

ぐろむ初試乗!
1月4日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ぐろむ初試乗!

 
 
 
 

■□■□■□ ↓↓↓2015年↓↓↓ □■□■□■

タケガワ アルミハンドル
12月25日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第五弾

 
 
 

ヨシムラウォッシュプラグ
12月8日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ 用品編その2

 
 
 

ジャケット
11月29日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ジャケットもカスタム、笑

 
 
 

ヨシムラ
11月28日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第四弾

 
 
 

ヘルメット
11月16日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ 用品編

 
 
 

黄色いぐろむ
11月7日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第三弾

 
 
 

ぐろむ
10月25日

◆1000km点検
 於:ホンダドリーム久留米

 
 
 

グロムバー
10月21日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第二弾

 
 
 

ラッキーセブン
10月15日

◆ラッキーセブン:777km

 
 
 
 

フェンダーレスへ
10月14日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画第一弾

 
 
 

My工具
10月13日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ カスタム計画、笑

 
 
 

初オイル交換
10月8日

◆初オイル交換:504km

 
 
 
 

ぐろむ
10月5日

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ちゅりぐろむ・・・プロローグ

 
 
 

グロム納車
9月27日 ぐろむ納車

◆ちゅりの田舎暮らし日記:
 ぐろむ納車!・・・謎笑

el
 
 
1989年、彼を知った事でオレのバイク人生は変わった。
その彼のスピリッツを残してみたい。

チャンピオンのチャレンジ*** 続きを読む »

チャンピオンの実力*** 続きを読む »

1988年 3度目の世界チャンピオン *** 続きを読む »

剣道を始めた動機は不純だった。
その頃体が細くケンカに弱かったオレには、剣道が無敵のツールに思えたのだ。
ケンカに強くなりたい、ただそれだけの理由で剣友会の入会手続きをとってもらった。
もちろん母親には、本当の動機など言わずに頼んだ。

夏練習の時には、毎日防具を背負って片道4キロを歩いて練習場に通った。
母親からもらったバス賃を倹約し、帰りに友達とジュースを飲むのが楽しみだった。
オレは10歳。24時間ががあっという間に過ぎていくような毎日だった。
ただひたすら、強くなるための毎日だったのかもしれない。

しかし、剣道を始めて4年が過ぎ、自分自信の中でなにかが変っていくのを感じ始めた。
『違う…』
強くなればなっただけ、もっと相手を倒さねばならないという状況に違う臭いを感じ始めていた。
幼い子供達を指導するにあたっては、他人を蹴落とす事を教えることから始めた方が分かりやすいのだろうか。
その、まずは相手を倒すという方向に違和感を覚えだしていたのかもしれない。

あれほど剣道にのめりこんだオレだったが、あっさりとその熱中した時期を捨て、なにもしない毎日を過ごす時期が続いた。
絶対的な運動量の変化に体がついていかず、健康的な体とは程遠い脆弱な少年がその時期のオレだった。

そんな時オレはバイクを見た。
家族と車で移動している途中の高速道で、渋滞を抜けていくバイクを見た。
心地よさそうに風を切って走るバイク、いつかあれに乗ってみたいと思った。
それは別にたいした気持ちではなく、剣道を始めた時のように、漠然とやってみたいと思うだけの…。

単純なオレにとって、バイクは剣道に比べて分かりやすかった。
カーブでの立ちあがり、なぜうまくいかないかはその場ではわからない。
しかし、自分の弱点をすぐに実感でき、繰り返し繰り返し納得いくまで走ればいい。
そんなバイクのシンプルさの虜になった。

小型から中型そして大型とバイクの排気量は変わった。
オレ自身も学生から社会人へと歳を重ねた。
しかし、その間もずっと毎日走るルートは変らない。
冬でもジャケットの袖を捲り上げたくなるほどに熱いものが体の中にある。
ずっと変らずに。

 
今、自分にとってバイクとはなにかと問われても、明確な答えは出ない。
バイクは底がしれないほど奥が深い。
しかし、自分自身と対峙し、ソレを超えていく楽しみがある。
そこに、今も夢中になれるなにかがある。

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ドミ納車
1997.2
 
 
 
 
 
 
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ちぃドミ納車
1997.2
 
 
 
 
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タイヤ
1998.1
 
 
 
 
 
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ドミ&ちぃドミ 浦安
1998.5
 
 
 
 
 
 
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ドミ 10000キロ
1998.6
 
 
 
 
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ちぃどみ 7777キロ
1998.9
 
 
 
 
 
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ドミ Stentune
1998.12
 
 
 
 
domi_chiidomi11
 
 
ちぃどみ 10000キロ
1998.12
 
 
 
 
domi_chiidomi10
 
 
ドミ 15000キロ
1998.12
 
 
 
 
domi_chiidomi9
 
 
ドミ 20000キロ
1999.11
 
 
 
domi_chiidomi8
 
 
 
ちぃドミ 20000キロ
2000.11
 
 
 
 
 
 
domi_chiidomi7
 
 
ちぃドミ マフラーガード装着
2001.7
 
 
 
 
domi_chiidomi6
 
 
ドミ 30000キロ
2001.7
 
 
 
 
domi_chiidomi5
 
 
ドミ フロントフォーク OH
詳細はこちら
2001.12.8
 
 
 
 
 
 
domi_chiidomi4
 
 
 
 
ちぃドミ ディスクカバー装着
2002.5
 
 
 
 
 
domi_chiidomi3
 
 
 
ちぃドミ 30000キロ
2003.11
 
 
 
 
 
 
domi_chiidomi2
 
2006年夏
ちぃドミはお嫁にいきました
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ドミ最後の日
 
 
 
ドミ最後の日 73372km
2021.02
 
 
 
 
 
 

いくつぐらいのときか全然覚えてないんだけど、オレが自転車の補助輪をはずしたのは、友達に比べて早かったほうだと思うんだ。
その時の体験を、これから補助輪をはずそうと思っているみんなの参考に…。

今こそでっかいバイクに乗ってるけど、そのころのオレの愛車はサ、赤いフレームに補助輪がついたちっちゃめの自転車だったんだ。
たしか、近所の兄ちゃんのお下がりで、ところどころサビサビだったけど、どこに行くにもその自転車が一緒だった。
公園に行く時も、友達の家に遊びに行く時も、いつもその自転車に乗って出かけたんだ。
ちょっと遠出しすぎて、帰り道が分からなくなっちゃって、母さんが迎えに来た事もあったっけ。
オレは大丈夫っておばさんに言ったけど、『暗くなっちゃうからね』って、おばさんが母さんに電話しちゃったんだ。
本当は一人で帰れたと思うよ、ホント。

でさ、サビサビなのは補助輪のステー部分が一番ひどくて、乗りまわしているうちに、ステーの部分がだんだん外側に曲がっていったんだ。
それで、自転車の車体が垂直状態の時には、瞬間補助輪なしで走ってるってわけなんだ。
どんどん乗りまわしてると、ステーの曲がりもひどくなってくるだろ。
だって、そのころのオレはサ、自転車に乗るのが楽しくて楽しくて、カーブだって、ほとんどノンブレーキで突っ込んでたもんなー。
よく大きなケガしなかったもんだよ。
ま、友達みーんなそんな乗り方してたけど、誰もケガなんてしなかったしな。
青あざや擦り傷くらい、毎日新しいのが出来てたけど、あんなの、ケガのうちには入らないしサ。
そうこうしているうちに、ステーの曲がりはさらに加速していったんだよ。
補助輪なしで走っている時間が、少しづつ少しづつ長くなっていたんだろうな。
そんなある日、ついに右側のステーが折れた。
でも、全然こわくなかったよ。
だって、走ってる時にフラッとしても、体を左に持って行けば、左の補助輪のおかげで転ばないだろ。
安心して補助輪なし走行の練習をしてたってわけさ。
そんなに日が経たないうちに、左側の補助輪も邪魔になってきたんで、とうとう父さんにはずしてもらったんだ。
なんの苦労もしないで、その日からまた遠出できたよ。うれしかったなー。
そうやってオレは、友達の中でも早いうちに補助輪とおさらばできたのさ。

自転車は不安定な乗り物だろ。
だから補助輪はその不安定さを補うのかもしれないけど、やっぱり本物のライダーには不必要なモノだよな。
な、そうは思わないか。

これから補助輪をはずそうと思っているボク、そしてお嬢達!
いきなり両方の補助輪を外して練習するのもいいけどさ、今からちょっとづつ、父さんにステーを曲げてもらったり、片方だけ外してもらうのもいい手だと思うぜ。

ライダーはやっぱ、2輪じゃなきゃサ!

hojo

先日、TVでシルベスター・スタローン主演の『コブラ』という映画の予告編を見た。
『コブラ』といえば、オレにとっては、初めてチューニングしたマフラーの名前だ。

 

初めて乗ったバイクはHONDAモンキーR。
1000キロほど乗ったころから、ちょっとどこかいじってみようかなという気になってきた。

ことの発端は、友達のうちに遊びに行く時のこと。
迎えに来た友人のバイクは、ボアアップしたゴリラ改。マフラーはタケガワチューン。
キャブもかえていたらしいが、よく憶えていない。
オレ達は、なんということもなく友達のうちへと向うことになった。
ノーマルのオレのモンキーRに合わせて、落ち着いた走りのゴリラ改は前をいく。
今思えば、オレに気を使ってくれていたのかも知れないが。

途中、市川橋と大通りとの合流地点で、後ろから来たスクーターがオレ達をスーッと抜いていった。
それまでおとなしく前を走っていたゴリラの友達は、そこでなにを思ったか抜いていったスクターを追って一気に加速した。

よしっ、オレも全開!

 

しかし、あっという間に遠ざかるゴリラ改とチューンドスクーター。

『あ、あ、待ってくれ~』

当たり前だが一人取り残されるオレ…。

 

単純だが、チューンしようと思ったのはそれがきっかけだ。
速くしたいかなんとか、そんな事は考えていなかったが、とりあえずどこかいじってみたらカッコイイかな、という程度のことだ。
しかし正直、カッコよくなって速くなれば一石二鳥だとも思っていたが…。
ま、そんなこんなで、マフラーを替えようと短絡的に考えたわけだ。
 

『パーツを購入するといえば上野』
その頃はそのくらいの知識しかなく、とにかくまずは上野のバイク街へ。
 

高速道路の下の怪しいバイク屋前には、怪しいバイク乗りが乗ってきた、今でいう旧車がぎっしりと駐車していた。
バイクを降り、反対側のパーツ屋に向かうため信号待ちをしていたオレの前に、1台のバイクが止まった。

『Z1000Rだ。』

アクセルをあおるわけでもなく、ただ静かに信号が変わるのを待っている。
しかしその存在感、なにか惹かれるものがある。
その時信号が青に変わった。

Z1000Rは、爆音とともにホイールスピン、そこでドーンとウイリー!! 
そして、45度ぐらいの角度を保ったまま走り去った。

ガーン!! 『○☆×△~@@』

ここには原付が立ち入ってはイケナイ・・・。
(注:その後オレは、中型免許を取得するまで、上野には電車で通ったもんだ。)

 
 

話しを戻すと…。
そんな事はあったにしても、ま、無事にマフラーを購入することだけはできた。
雑誌でチェックしてあった、SP忠男の『コブラ』というマフラーだ。
にやにやしながら家に帰って、そっと箱から出してみた。

『おおっ!カッコイイぜぇ。』
『でもサイレンサー部分が粗いな。ここがピカピカならもっとカッコイイだろうな。』

そのころから、モノの仕上がりに厳しいチェックが入ってしまう性が現れてきたように思う。
 

それからは、夜な夜なペーパーでサイレンサーを磨く日が続いた。磨きに磨いた。
メシを食うのも忘れるほど…。
1週間磨いてかなり良くなったので、とうとう我慢できなくなり、深夜に取り付けることにした。
取り付けはいたって簡単。10分もかからない。
使った工具もそのままにちょっとエンジンをかけてみることにした。

スイッチON、キック!イッパツ始動、『ボボーン!!』
『うわあぁあぁ・・・』 『カチッ』 シーン…。
 
ノーマルの時とはまるで違う迫力の音にびっくりしたオレは、たまらずエンジンを切った。
ドキドキする心臓とはやる気持ちを抑えながら工具をかたずけ、ジャンパーに袖を通しヘルメットをかぶる。
そして、家の前から広い通りまでモンキーRを押していった。
再度エンジン始動、『ボボーン!!』
ゆっくりと発進・・・そして少しづつペースをあげる。

『ボーンボンボンボーーン!!』

『いいなぁコレ、止まんないよー。』

高まる高揚感を信号が止める。

『ふーっ、あつい。あついなぁー』

ジャンパーの袖をまくり、シグナルブルーとともにバイクを発進させた。
その時の外気温が、0℃近かったという事にはあとになって気がついた。
10数年前の、12月の深夜の出来事だった。

 
 

これがオレの、はじめてのチューニングパーツの話。
だからスタローンには悪いけど、『コブラ』といえば、オレにとっては、はじめてチューニングしたマフラーの名前なんだよ。

我らのバイク仲間が 『今度の新車はな~に?CT110かな、APEかな?』と、心待ちにしているので、我が家の新入り『ちゅり号』をお披露目することにした。
見よ、この勇姿!

tyurigou1

tyurigou2

tyurigou3

フロントフォークOH 2001年
 
 
Dominator650、走行距離30000キロにて
初のフロントフォークOH!

メカニックの勧めもあり、フルオーバーホールしました。
その全行程の写真記録です。
 
 

2001.12.8 J’s-factoryにて

取り外し編*** 続きを読む »

分解編*** 続きを読む »

洗浄編*** 続きを読む »

組み付け1*** 続きを読む »

組み付け2*** 続きを読む »

fork25OH後の試走行は…
くるっと曲がれるっ、極低速、う~ん、すばらしい!
ひとつひとつ丁寧に組まれたパーツが、フロントホイールを無駄なく回転させているのを体感できる。
が、これが本来の姿なのだ。
メンテの大切さを思い知った一日でした。

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「だいじょ~ぶでぇ~す~。」

居酒屋の店中で大の字になっている大男。バイク屋の忘年会ではいつもこの彼がまっさきに酔いつぶれた。
サービス精神が旺盛なのか、単なるハシャギ過ぎなのか、いつものことである。
「しょうがねぇなぁ。」
JUNは、店の軽トラを出し自宅まで彼を送りとどけた・・・・・。

 

彼は、郵便局に勤めていた。亡くなった母親の薦めもあった。
そんな彼が学生のころから、JUNの勤めていたバイク店に現れていた。
「オイル交換お願いしま~す。」「なんかブレーキおかしいんですけど?」
いろんなメンテナンスやトラブルを丁寧に教えてくれるJUNを、兄貴のような存在に感じはじめていた。

 

限定解除をした。大事にしていた「インパルス」だったが、次の愛車はもう決まっていた。
ZZ-R1100・・・そうJUNと同じバイクだ。

毎月のツーリングには必ず参加していた。
先頭を走るJUNの背中を追うのだが、その背中はあっという間に見えなくなっていた。
その背中に憧れていた・・・・。

 

2001年 2月15日

JUNは、念願のバイクSHOPをOPENさせることになった。
当初のスタッフは、JUN、KAE、そしてコーギー犬ヤックル。

 

「ウチでちょっと働いてみないか」JUNからの思いもかけない言葉だった。
彼はドキドキしていた。これは夢なのか・・・こんなオレを本当に雇ってくれるのか?JUNさんのSHOPに・・・。

JUNは話をつづけた。
「フルタイムで雇ってやれないのが、申し訳ないけど、週一でさぁ。」
「・・・・・。」彼の返事はない。
「ダメかなぁ。」JUNが聞いた。
彼は、我にかえり言葉を発した。
「ゼンゼンOKですよ~。よろしくお願いしま~す。」

 

いろいろ仕事を覚えていった。車検場にも行けるようになった。
なによりJUNのそばで、自分の将来の夢を育てていけるのがうれしかった。いつかオレもバイクショップを・・・と。

でも、こんな失敗もあった。
それは、JUNの新しい愛車を車検場に一人で持ち込んだ時のことだった。
ちょっと心配ではあったが、忙しいJUNは彼に任せてSHOPで仕事をしていた。

「スイマセ~ン。」帰ってきた時の彼の第一声だった。大きな体が小さく見えた。
車をどっかでこすったのかな?とJUNは思ったが、なんと愛車を立ちゴケしてしまったとのことだった。

「ナロォ~。」と怒り爆発寸前だったが、まぁやってしまったのはしかたがないことだ・・・と、JUN。
愛車のキズもたいしたことがなかったので、そのままだ。

 

JUNとKAEの間に娘を授かった。KIEと名をつけた。
SHOPのスタッフは、4人と1匹になった。

 
 

そんなある日、JUNは彼から話しがあると告げられた。
彼の父から、借金の保証人になれと言われたという事だった。

「父の保証人になることにしました。」彼の顔は、とっても悔しそうだった。
それは、大好きなこのSHOPをやめ、より給料の良い所への転職を意味していたからだ。

「そうか・・・。」JUNは、それ以上言葉にならなかった。
「今月末で辞めさせてもらいます、スイマセン。」彼の精一杯の言葉だ。
「じゃあ、失礼します。」彼は、メットを手にして帰ろうとした。

 

「また、来週たのむなっ!」JUNは、席を立って彼の背中に声をかけた。
彼は振りかえり、またいつもの笑顔で答えた。
「ハイッ!」

 

彼の後姿を見送るJUNには、走り去るバイクの排気音が悲しく聞こえた。
天を仰ぐJUN。

「JUNさん・・・・」KAEが、その肩に手をかけるとJUNの肩は、震えていた。
「オレに力があればフルタイムで雇ってやれるのに・・・」
二人の目からは大粒の涙が、とめどなく流れた・・・。
そしてその月末、彼はバイクSHOPを辞めた。

 
 

辞めてからの彼は、勤めていた時以上に、JUNとKAEのSHOPに現れた。
影では、新しく開設されたHPの作動確認をちゅりのもとでしていた。
二人の力になりたくて、心配かけまいとして・・・・。

新しい就職先、新しい彼女、彼に新風が吹きはじめていると、まわりのみんなが思っていた。
いったい誰が予想していただろう。
こんな事になるなんて・・・。

 
2003年 6月20日

日は落ちあたりは真暗だった。バイクにキーをさし暖気する。  

ヘルメットを被ろうとした時、携帯が鳴った。
「おひさしぶりです。」
郵便配達員の時の後輩の中村だった。
「おーどうしたー。」
「どーしたじゃないですよ、明日の約束忘れてないですよね。」
「あー、オレの壮行会をしてくれるんだって。」

長く勤めていた郵便局の仲間達が、新しい職場についた彼のために壮行会をしてくれるらしい。
「田山や春山さんも来るって言ってましたよ。」
「えーっ、配達は大丈夫かぁ?」
「みんな、河合さんには世話になってるんで。だから、明日は絶対来て下さいヨー。」
「あぁ、必ず行くよ。」

 
 

携帯の時計は、約束の時間に迫っていた。「おっと、ヤバいヤバい。」
ヘルメットを被り、彼は夜の闇にバイクを走らせて行った。
ヴォォォォォォーーーー。

 
 

そして、JUNの携帯が鳴った・・・・・・・・。

 
 

2004年 夏 今年もまた暑い季節がやってきた。
セミの鳴き声が聞こえる、花火が上がっている、太鼓の音、鐘の音・・・・。
いろんなところで人々の歓声が聞こえる。

 
しかし、もう彼にはあの夏は訪れない・・・。

 
 

一周忌を過ぎたころ、思い立って書きました。あくまで、フィクションとして・・・

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